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紅い空の記憶

紅い空の記憶

紅い空の記憶私の母が体験した、戦争にまつわる不思議な話です。

私の母方の祖母が不思議系の人だったという話は、サイトのプロフィールのページにも書きましたが、その祖母は、3人の自分の子のほかに、よそ様の子を何人も育てた人でもありました。

何らかの事情があって生家で育てることのできない幼い子を、時には何年も預かっていたのです。(そのうちのひとりの女の子は後に養女にしました。)

子供(母の上のきょうだい)を亡くした経験も手伝ってか、祖父母はその子たちをそれは可愛がって大切に育てたので、大きくなって親元へ返された子の中には、育ての親が恋しくて逃げ帰ってくる子もいたそうです。

そういう関係で、母には血のつながらない兄のような人たちがたくさんいました。

彼らはやがて立派な青少年になりましたが、太平洋戦争が始まると、次々と徴兵されていきました。

戦争も終盤に近づいたある日のこと。

母がふと空を見上げると、空一面が、炎のような真紅に染まっていました。しかし、夕焼けには早すぎる時刻です。おかしいと思いながらも彼女は声を上げました。

「見て、空が燃えてる!」

ところが……そばにいた人たちはキョトンとして、まったく取り合ってくれません。「何を言ってるの?」「何も見えないよ」。

母以外の人には、誰一人として、その光景が見えなかったのです。

後からわかったことですが、その日、母の「血のつながらない兄」の中でも一番優秀でやさしかったKという人が、亡くなったのでした。

いつも祖母に向かって口ぐせのように「絶対苦労させないからね。幸せにするからね」と言っていたという彼は、戦地に向かうために乗っていた船が爆撃され、炎上して、遠い海に沈んでしまったといいます。

彼は、母に伝えたいことがあったのでしょうか?何かを託したかったのでしょうか?

祖父母が手塩にかけて育てた男の子たちは、結局、誰一人戦場から戻って来ませんでした。

私はこの話を幼い頃から何度も聞かされて育ちましたが、8月の終戦の日前後はとくに、母が見たという空の色が自分にも見えるような気がするのです。

「国のため、銃後の弱き存在を守るため」と命を賭けてくださった戦没者の方々、そして、戦争の犠牲となられたすべての方々のご冥福を心よりお祈りします。

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