もし、快適さ自体が目的になってしまったら、それはエレガンスにとって最大の敵となります。(J.A.ダリオー『永久不滅のエレガンスのルール』)
「当然でしょ?」と思えた人は素晴らしいです。
私などはかなりドキッとするフレーズでした。
今も、生活全般、もしかしたら快適さを優先しすぎていないか?と、ゆるゆるな自分を反省しています。(締め切りではキリキリしめつけられています)
ダリオー女史は、世相を鑑みて「快適さとエレガンスの協調は大切」と理解を示しつつも、こんなふうに言っています。
「女性が一年中来る日も来る日もひたすら快適さを求め続けたなら、いつかは伸縮自在の服や調理ずみ食品、パック旅行の虜となり、機能本位の均一化、国民総白痴化の一途をたどることになるでしょう」。
快適さ、それ自体を目的にして、求め続けてしまうことへの警告です。主語は女性になっていますが、もちろん女性だけの話ではないですよね。
「国民総白痴化」というのも、あながちオーバーな表現ではなく。
なぜなら、自分にとっての快適さを果てしなく求めていくというのは、ひらたく言えば、サル、犬、猫、ネズミ。。。つまり動物がとっている行動パターンだからです。
脳の部位で言うと、本能をつかさどる大脳辺縁系に含まれる領域を全開にした生き方です。
一方、エレガンスというのは、人間だけが持つ「美意識に裏打ちされた選択、抑制、節制」といった精神活動によって成り立つもので、そちらの担当は大脳新皮質です。
生きていくために快・不快の感覚はとても大事なものですし、自己規制も度が過ぎればひずみが生まれます、が。
やっぱり、人間に生まれたからには大脳新皮質のほう「も」しっかり使いたいものですよね。国を滅ぼさないためにも。
エレガンス、シック、粋、品性。。。もし、そういう言葉に心地よい響きを感じるなら、心の中にそういう自分になりたいという憧れが潜んでいるはずなのです。
私自身がそうです。。。 この本、具体的に挙げられるアイテムにはちょっと古さを感じるものの、考え方はすごく参考になります。
服装ひとつにしても、「ラクかどうか」よりも、「美しいかどうか」(自分自身ともまわりとも調和がとれた美しさがあるか)を基準にすることが増えたら、ずいぶん人って変われそう。
ラクかどうかよりも、美しいかどうか。
紙に書いて貼っておこうかしら。開運筆跡で(笑)
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