桃李もの言わざれども下自ずから蹊(みち)を成す
(司馬遷が名将・李広を評した言葉)
中華街の北京飯店で買ってきたおいしい桃まんをいただきながら、この言葉を思い出しました。
特別なことをしなくても、徳望のある人物には自然に人が集まってくる。その通りですよね。
成蹊学園の校名がこの故事成語からつけられたというのは、最近になって知りました。俳優の松坂桃李さんの名前も由来のひとつはこれだそうで、親御さんが託した思いが伝わってきますね。
桃やスモモは確かに何も言いませんが、美しい花やかぐわしい実をつけて自分の存在を発信し、人をひきつけます。
人間で、その花や果実にあたるものは何だろう?と、ふと考えました。
それはむしろ、ぱっと見ただけではわかりにくいところにあるのかもしれません。
孔子は「巧言令色鮮(すくな)し仁」(言葉を巧みに操り、うわべだけ愛想よくふるまう人は徳が少ない)と言いました。
ものの見方が未熟だと、つい、わかりやすいうわべの部分にばかり目が行きがちですよね。本当にすごい人のすごさがわからなかったり、表面的な華やかさや付属物でその人を判断してしまったりします。
人を見る目って、おそらく感性プラス経験によって磨かれていくものなのでしょう。
子供は感性は鋭くても、経験不足ゆえにだまされやすい。経験を積み重ねた人も、感性が鈍っていると落とし穴にはまることがあります。
子供レベルの感性を取り戻し、オトナの知恵を蓄えて、もっともっと人の真実が見えるようになりたいです。
一方的にエラそうに「見る側」として書いてしまいましたが、もちろん自分も誰かに見られ評価される側だとわかっていることも大切で。
わかっていて、必要以上に気にせず、とりつくろうこともせず、ひたすら自分の花を育てていく。そんな姿に憧れます。
そして、人が自分の花を咲かせるために、自分のできることでささやかながらも貢献していく。。。
サウイフモノニワタシハナリタイ。(最後はなぜか宮沢賢治。)
コメント
コメント一覧 (2件)
和菓子の美しさは
口に入れるのが勿体無くなるような
そんなドキドキ感があります
一年に一度あるかないかですけど(笑
人の手のぬくもりほどご馳走はないですよね
amamian3さん、コメントありがとうございます^^
人の手で作ったものには、作り手の心が入っていますよね。
ものを通した人との出会いも、人生を豊かにする大切な要素だと感じます^^