(関内<かんない>という地域名の由来:江戸幕府が横浜を開港した時、隣町の神奈川宿(寒村だった横浜村よりずっと栄えていた)に外国人を入れないために、間を流れる吉田川の上に橋をかけ、そこに「関門」という関所に似たものを設けていました。その横浜側の地域を「関内」と呼んだのが始まりだそうです。現在は、川は埋められ、橋も道路と一体化して、当時の面影はありません。)
第三京浜上り。すっかり夜になりました。玉川で下りて、ある建物を見学して、あっという間に横浜に帰ってきました。
この日のこの風景にはもう二度と出会えない。
なんでもないようでいて、毎日が特別な日。
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