「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らないうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識(し)らずに善事をたのしむ」
(池波正太郎「鬼平犯科帳」)
「白黒はっきりさせる」という言い方がありますが、これを人間に適用しようとすると、なかなか難しい。
ひとりの人間の中には白もあれば黒もあり、どっちつかずのグレーだってあるものです。
火付盗賊改方長官・長谷川平蔵、通称「鬼平」は、同心や密偵たちを動かして次々と盗賊一味をお縄にしていきますが、手足となって働く密偵たちも、元は盗賊でした。
また、長谷川平蔵本人も、昔は「本所の銕(てつ)」と異名を取り、腕っぷしの強さと放蕩ぶりで有名だったという人。(モデルとなった実在の長谷川平蔵も、そのような青春を送ったそうです。)
社会の裏も表も見てきた鬼平は、人間心理への理解が深く、部下たちのマネジメントや事件の解決に絶妙な手腕を発揮します。
鬼平犯科帳は、ストーリーも面白いのですが、そこで繰り広げられる人間模様や、鬼平が見せる人情味と厳しさのバランスがとても魅力的です。
鬼平が語ったこの言葉は、小説全体を貫いている思想でもあります。
この言葉を引用してみて改めて感じたことは、
他人に関して、簡単に「善い」「悪い」を決めつけてしまうとき、私たちは往々にして自分を善の側に置いています。自分のことも他人のことも、実はよく見ていません。
でも、「他人の中に見つける善も悪も、自分の中にもある」と思っていれば、また違った考え方、態度になってくるはずです。
私はできるだけ後者でいたいです。「あの人は善い」「この人は悪い」と判定して思考停止していたら、自分自身の成長はないですから。
コメント
コメント一覧 (2件)
はじめまして。
鬼平犯科帳は好きで、放送してると見てしまいます。
水戸黄門のようなわかりやすい勧善懲悪の時代劇もいいですが、鬼平犯科帳は他の時代劇とは違うものを感じます。
>他人に関して、簡単に「善い」「悪い」を決めつけてしまうとき、私たちは往々にして自分を善の側に置いています。自分のことも他人のことも、実はよく見ていません。
その通りだと思いました。
誰かを批判するときは、自分は正しい側にいて相手は間違っていると思ってしまいます。
自分のことも他人のこともよく見えなくなってしまうのは、善い悪いの二極分化してしまうせいでしょうか。
応援ポチさせていただきました^^
未来さん、こんばんは(^_^)
ご訪問&応援ポチありがとうございます。
鬼平犯科帳は私も大好きです。
時代考証も配役も素晴らしいですが、やはり根底に流れているものが
違うと思います。
おっしゃるように、良い悪いの二極分化をすると
そこで思考停止に陥ったり、見方が浅いままで終わりがちですが、
それとは違った視点があることを教えてくれる作品ですね。
またお気軽に遊びにいらしてください。
私もまた、ぐって&応援ポチに伺いますね!