・テーマはまじめ、雰囲気はカジュアル
書評を見かけて「むむっ」と思って読んでみた、酒井順子さんのこの本。
副題に「中年書道再入門」とある通り、書道を習った経験のある著者が、改めて「書くこと」に向き合った2年間の体験が綴られています。
書道の専門誌に連載されていたため、道具のことから、歴史に残る書家たちの書体や人となりにもふれられていて、勉強になります。
こう書くとカタい本?と思われるかもしれませんが、そこはあの「負け犬の遠吠え」をものした方。
写経をすれば、般若心経の「無」が続く部分を「むーむー地帯」と命名。
藤原行成の筆跡を見た瞬間の感想は「モテ系……」。
長谷川町子さんやほしよりこさんの書き文字の魅力。(長谷川町子さん、同じこと思っていました!ほしよりこさんは、ほわっとしているようでいて、文字を見るかぎりかなりの個性派!)
木嶋佳苗被告の字を見たときのショック。(本当に、「ええええっ」というくらいキレイなんですよね。私も最初に見たときは茫然としました。)
まるで友人と会話している気分で読ませてもらえます。
いろいろな文豪の筆跡を真似て書く著者
・プロ顔負けの筆跡診断?
何よりも、文字を通して見える人の生き方、あり方や、臨書すること(手本を見て書くこと)の意味について、独特の平らかな視線で考察し、その都度何かに気づいていく作者のようすが、私には大変に面白かったのです。
人生経験を積んでから取り組むことで、文字の向こうに見える世界の広さや深さをよりリアルに感じられる、それが「中年書道」のひとつの効用かと思います。
たとえば、北宋の政治家、詩人、書家の蘇東坡(そとうば)についてはこんなことを書いています。
<これほど字を大きく見せたものは、やはり蘇東坡の人間性なのでしょう。(中略)長く伸びる「中」や「年」の縦線は、運命に翻弄されながらも彼の中を貫くまっすぐな背骨のよう>※
豊かな感性と、それを表現する言葉をもっている人ならではの形容でしょう。そのまま立派な筆跡診断にもなっています。
また、林芙美子の筆跡を真似てみたときは、こんな感想をもらします。
<芙美子の文字というのは、練習して書けるようになるというものでなく、ある種の性格の人でないと書けない類の奔放さを持ちます。放浪経験の無い定住民である私には、無理な挑戦なのか……。>
実際、その文字の書き手と自分の性格や人生経験がかけ離れていると、真似るのは大変です。それは書き手の心理に自分の心理を重ね合わせるのが難しいから。
その経験がまた自分自身の再発見にもつながるので、臨書によって得るものは大きいのです。
本当は、ほかにも引用したい部分がたくさん。グラフォロジー(筆跡心理学)を学ばずとも、こんなにいろいろなことを感じ取れるのはすごいと思います。
文字や書くことに興味のある人なら誰でも楽しめます。おすすめです!
※蘇東坡は文人としてのずば抜けた才能を讃えられた半面、上を批判したなどの理由で何度も左遷された。
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