しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は毎朝やってくる
一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。
(石垣りん「挨拶」原爆の写真によせて より)
今日はどうしてもこの詩を載せたかったのです。
全文はもっと長いものです。「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「石垣りん詩集」などの本で読めます。
今朝の朝日新聞には、このような記述がありました。
<国会で説明した児玉龍彦・東大教授によれば、福島からは広島原爆20個分の放射性物質が飛散した。>
「自分には関係ない」
「自分さえよければいい」
そんな言葉が通用しない世界に、私たちは生きているのだと思い知らされます。
それは今に始まったことではなく、核利用が始まった時からでもなく、本当は地球の始まりからそうだったのですけれど。
他の生き物の上に立ったと思い込んだ、人間の傲りと私利私欲と油断が今の状況をつくったのでしょう。
傲りと私利私欲と油断。これは運命学的に見ても最悪のあり方です。
大難を招いても文句は言えません。
ここからどう軌道修正していくか。及ばずながら考えています。個人レベルでも、以前と同じ行動が通用しないことだけは確かです。
コメント
コメント一覧 (2件)
この記事を読んで、一瞬で多くの人たちの命が奪われたという事実を
あらためて思い出しました。
福島の方が放射性物質をはるかに放出している事も同様です。
僕らはもっと事実を認識し、行動を変えなければいけませんね!
油断していた自分を反省します。
ありがとうございます。
hiroさん、こんばんは^^
そうですね、原爆の日と一言で言ってしまうと、
そこに生身の人間の命と生活があったということが
見えなくなりがちですね。
今起きていることも同様で、いたずらに恐れるのも
良くないですが、危機感はつねに持っていないと。。。
との自戒の念を込めて書かせていただきました。