さて。テレビをいっぱい見たお正月。
休み休みでしたが、7時間ドラマの『忠臣蔵』も見てしまいました。
私は忠臣蔵にはちょっとうるさいです。歌舞伎もみっちり観ていますし、いろいろな文献も読んだ上で、私なりの「忠臣蔵観」をもっています。なので必要以上にうるさいです。
そういうこともあって、いろんなことを考えてしまいました。
内野聖陽さんの堀部安兵衛はよかったと思います。でも、その他の部分には正直不満がありました。
「この役はこの人じゃないでしょう」「もっと『そうであったか!許せ内蔵助!』という心情を表現してっ」「その笑顔は違う~~。喜びと誇らしさの裏にある複雑なものが出てない~~」とダメ出しに忙しくて、あまり浸れず。
コスプレ時代劇は見たくない
このドラマに限らず、時代劇の描き方って難しいですね。
時代考証に関しても多少思うところはありますが、何より大事だと思うのは演じる人たちです。
「現代人がそのまま昔にタイムスリップしただけ」みたいなのはいただけません。その時代に生きていた人を演じるならば、その時代の人の「心」になってほしいです。アレンジするならその上でやらないと、とても薄っぺらなものになってしまうのではないでしょうか。
演出の問題もあるでしょう。でも、役の心を自分のものにしているかどうかは、その人の表情やセリフ回しに必ず表れますよね。
「○○のコスプレをしている、いつもと変わらない役者の□□さん」を延々と見せられるのは、勘弁です。
でも考えてみると、私たちも、日常の中でそれと似たことをしているようです。
よく「相手の立場に立つ」と言いますが、できている人はどれくらいいるでしょうか。一見そうしているようでいて実はカタチだけ。。。ということも少なくないのでは?
「自分」は脇に置いておく
「もし自分があなたの立場だったらこう感じる、こうする」。
この発想では、結局は「自分の感じ方」というワクから出られません。そのままの自分が、相手の洋服だけ借りて着てみるのと同じようなものです。
まあ、ごく単純で普遍的なことなら通用するでしょう。「ありがとう」と言われると気分がいいとか、財布をなくしたらショックだとか、そのへんで食い違うことはまずありません。
でも、「人によって感じ方はいろいろ」という状況もいっぱいあります。そんな時に「自分だったらこうだから」という発想で動くと、時として、まちがえます。
「私はこうなのに、あなたはなぜ違うのか?」
答えは簡単。別々の人間だからです。
本当に相手をわかりたいと思ったら、必要なのは「この人は(このような経緯で生きてきて)このように感じ、考える人だから、こういう状況ではこう感じ、考えるのではないか?」という発想でしょう。それが相手を受容することにもつながっていきます。
「押しつけがましい」と言われる人も「冷たい」と言われる人も根っこは同じで、どちらも、本当の意味で相手の立場に立っていないのです。「自分自分自分」なのです。
いったん自分は脇に置いて、相手の「心」にどこまで集中できるか。これは相手の立場に立つと言うより、相手の身になるという言い方がしっくりくる気がします。
どんな関係でも大事なことですが、親子、夫婦、恋人などの間柄ではとくに気をつけなければいけませんね。距離の近い人間関係ほど、お互いのエゴも出やすいので。あなたは新年からケンカしたりしていませんか?大丈夫ですか?はい、私も気をつけます。
あれれ?忠臣蔵からなぜかこんな話に。。。
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