今日は冬至。スーパーでは南瓜や柚子が目立つ場所に置かれていますね。
この風習には、そもそもどんな意味があるのでしょうか?
陰陽五行の研究者、吉野裕子さんはこう書いています。
<冬至の意義のもっとも重大な点は「一陽の萌し」であるが、この萌しは文字通りまことに微弱である。>
閉ざされていた陰のとばりがわずかに開き、一条の光が射し込む。
昔からいわれる「一陽来復」(長い不遇の時を過ごした後幸運に向かうこと)は、そうしたイメージを表しているようです。
その微弱な萌しをだいじに扱って助長してやることが、陽の気を育てていく(開運する)ために必須だというのです。
<そこで「冬至の南瓜」であるが、南国のカンボジアをその名に負い、文字にも南の瓜と書かれ、赤味さえ帯びる南瓜は、微弱な一陽の気を助長するものとして、当時における最上の呪物とされたのである。
同様に、橘と並んで南方の果実とされる柚子も、陽気象徴の貴重な呪物であって、南瓜を食し、柚子湯に入ることは、冬至における必須の行事となり、歳時習俗として定着したと思われる>(『陰陽五行と日本の民俗』(人文書院)より)
今日からの流れに乗って開運したいなら
つまり、冬至になったからといって、何もしなくても物事がどんどん陽に転じていくわけではないと、昔の人は認識していたわけですね。
めばえた微かな気の動きを助長する行動、つまり「流れに沿った行動」をとって開運・繁栄への道筋をつける。
その先はもちろん、農民なら農民の仕事に日々精を出さねばならないこともわかっていたでしょう。
考えたら、これってあらゆることに言えそうです。
たとえば自己啓発本やセミナーで「その気」になった。その人が実際に「気運」に乗れるかどうかは、そのあとの行動しだい。
「気の合いそうな」異性に出会った。でもお互いの働きかけがなかったら、「気心の知れた」関係になりようがありません。
今日からの陽の流れにしっかり乗りたいなら、南瓜を食べて柚子湯に入ってあとは以前のまんま、ではイカンわけです。
呪物としてのそれらの力を借りつつ、自分なりの「陽に向かう行動」をとっていく。
それこそが肝要と思われます(=゚ω゚)ノ
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