1971年に書かれた、次のような詩があります。
分かち合え
譲り合え
そして武器を捨てよ
人間よ
君は原子炉に
太陽を飼いならした
君は見た 月の裏側
表面には降り立った
石までも持って帰った
君は科学の手で
神を殺すことができた
おかげで君が頼れるのは
君以外になくなった
君はいま立っている
200万年の進化の先端
宇宙の断崖に
君はいま立っている
存亡の岐れ目に
原爆をふところに
滅亡の恐れにわななきながら
信じられない自分自身に
おそれわななきながら…
人間よ
分かち合え
譲り合え
そして武器を捨てよ
いまがその決意の時だ
タイトルは『新春 人間に』。
作者は堀口大學。堀口大學といえば、あの『月下の一群』をはじめとする訳詩集で知られていますが、優れた自作の詩も数多く残しました。
この詩が新聞に発表された1971年は、福島第一原子力発電所が稼働した年でした。あの日本中が科学に希望を抱き、物質的豊かさを追い求めていた時代は、詩人の目から見るとすでに「宇宙の断崖に立っている」状況でした。
堀口大學は、娘のすみれ子さんに「僕の詩は50年経ったら理解される」とも語ったそうです。
その言葉通り、このような詩が、やっと身にしみて理解される時代になりました。
先週、ミッション・インポッシブル最新作(ゴースト・プロトコル)を観てきました。
今回のミッションは、ロシアの核兵器を利用して戦争を起こそうとするテロリストの企てを阻止すること。あのドバイの超高層ビル、ブルジュ・ハリファで見せるトム・クルーズのアクションシーンは圧巻でした。
しかし。。。兵器に限らず、核のある世の中というのは本当に危ういものですよね。
テロのほかにももちろんリスクはいくらでもあって、「不測の事態」は必ず起こるもの。そのことを思い知らされたのが、東日本大震災でした。
作った人たち、持つと決めた人たち、管理に当たってきた人たちは、そうしたことについて一体どう考えていたのか?
「リスクはあるが、自分の生きている間、いや、在任期間中に何事もなければそれでいい」「自分と自分の身内が安全でいられればそれでいい」という程度の認識だったのでしょうか。本当~~に、心の底から不思議でしかたありません。
ミッション・インポッシブルが描く核の恐怖は、決して絵空事ではない。そして、「超人的な活躍で世界を守ってくれる、あきらめない男」イーサン・ハントは実在しない。
私たちは、そのことの恐ろしさをもっと自覚すべきですね。
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