チャールズ・ディケンズ『クリスマス・カロル』。
この本は、私が中学1年生の時に初めて自分で買った文庫本です。それまで、文字の小さな文庫本はなんとなく大人のものだと思っていたので、とてもうれしかったのを覚えています。
今はなき旺文社文庫(1987年まであったそうです)。
箱で保護されていたおかげで、本体はいまだにきれいです(読者の方で、箱入りの旺文社文庫を知っている世代って、どれくらいいらっしゃるのでしょう)。
訳者が、その後私が入る大学の学部の教授だったことにも不思議なめぐりあわせを感じますが、最初に買った「大人の本」が「運命を変えること」について語っていて、自分が今同じテーマを日々考えているという点も、面白いなぁと思うのです。
では、この本は運命についてどんなふうに語っているのでしょうか?(ネタバレ注意)
年老いた主人公、スクルージは、強欲非情な守銭奴。たったひとりの友人の死にも心を動かされず、書記のボブ・クラチットへの給料をけちり、貧しい人への寄付も断固として拒み続けます。
しかしあるクリスマスの夜、彼の前に、亡くなった友人マーレイの幽霊が鎖を巻きつけた苦しげな姿で現れ、利己的な生き方をした人間が死後にどうなるかを教えます。
そして、「これからあんたのところに三人の精霊がやってくる」と予告します。
第一の精霊が見せたのは、過去のクリスマスの情景でした。まだ純粋さが残っていた頃のスクルージの姿が描かれます。
第二の精霊は、現在のクリスマスの情景を見せます。彼の周囲の人々が暖かく愛情に満ちたクリスマスを過ごしていることがわかります。ボブ・クラチットの体の悪い小さな息子、ティムのけなげな姿が彼の冷たい心をも動かします。
第三の精霊は、未来のクリスマスの精霊です。スクルージは、誰からも顧みられず、惜しまれもせずにひとり孤独な死を迎え、出入りの使用人にベッドのカーテンやシャツまではがれて売り飛ばされる悲惨な老人の姿を見ます。
その顔には布がかけられ、最後まで見えません。しかし、墓碑銘にある名前を彼は見てしまいます。
彼は、精霊にしがみついて叫びます。
<「私は昔の私ではありません。こうしてあなたとの交わりがあったのですから、決してあんな人間にはなりません。私が望みのない人間ならば、なんでこんなものをお見せになる必要がありましょう!」>
<「私はこうして教えていただいたことに、耳をふさぐようなことはいたしません。ああ、私がこの石に書かれている名前を消すことができると、どうぞおっしゃってください!>
精霊はだまって消えてしまいますが、現実に戻った彼は、悲惨な未来がまだ訪れていないことに安堵します。
そして、彼は本当に生まれ変わります。人生の喜びを取り戻し、人々に親切に接し、約束した以上のことをやり遂げます。とても読後感の素晴らしい作品です。
私たちは、スクルージのように自分の未来を直接見ることはできませんが、見回せば「擬似未来」はそこら中にあふれています。たくさんの実例が、「そのまま行ったらこうなるよ」と教えてくれています。
それに気づいたら、落ち込むのではなく、「自分には望みがあるという証拠だ」と明るく都合よく解釈してしまえばいいのではないでしょうか?
自分が運命の操縦席に座ると決めた瞬間に、運命の行路は変えられるのだと思います。
<スクルージがこんなに変わったのをみて笑う人もいたが、彼はそうした人々にかまわず、笑いたい者には笑わせておいた。><彼自身の心は高らかに笑っていたから、それ以上望む必要はなかった。>
大事なのは、人に笑われないことではなく、自分が心から笑える人生を送ること。そう思いませんか?
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